ソードアートオンラインと進撃の巨人の共通点
ソードアートオンラインの小説15巻を読んでいて、ソードアートオンラインと進撃の巨人に共通点があることに気づきました。
その身を挺して人界を守ったアリスとキリト。
アドミニストレータとの戦いの後、セントラルカセドラルでの出来事は一般人には知られていません。
ベルクーリをはじめとした人界軍は、来たるダークテリトリーとの戦いに備えて訓練をしています。
アドミニストレータによる支配から解かれた後、今度は人界に住む一般人たちを身を挺してダークテリトリーから守らないといけません。
それなのに、アリスとキリトに向けられる、ルーリッドの村の人たちの視線は冷たいものでした。
「あなたたちを守るために、命がけの戦いをしたのに」
という気持ちが、アリスの中にふつふつと湧いてきてしまいます。
村の人たちの態度も、かなり舐めてますね。
車いす状態で話すこともできなくなってしまったキリトに対して、村の若者達はバカにした態度をとります。
読んでいて「ふざけんなよ!」って言ってやりたくなります。
でも、アリスは我慢し、キリトを献身的に介護するのです。
進撃の巨人の方でも、人類を守るために壁の外に出て必死で生き死にの戦いをして、ボロボロになって壁の中に戻ったときに壁内の住民が、
「なにしにいったんだ?また税金の無駄遣いか?」
「ずいぶん減ったな。税金を使って巨人の腹を満たしに行って、なにがしたいんだ?」
などと、ふざけたことを言います。
死に物狂いで戦って、守ろうとしたものにそういう言葉を浴びせられるというシーンは、見ていて辛いものがありますが、現実世界にもそういうことはあるみたいです。
アメリカの米軍の人が、中東の戦地からアメリカに戻ってきて、近所の人に「人殺し」などと陰口を叩かれたり、白い目でみられたりして、PTSDになってしまう人もいるらしいです。
もちろん、英雄気取りで町の人から称賛されたいわけではないと思いますが、少しくらいは戦っている人の身になって考えてあげればいいのにって思ってしまいます。
魔法少女まどかマギカという、すごく人気のアニメも見たことがあるんですが、
登場人物にさやかというまじめで正義感の強いキャラクターがいます。
彼女は、幼馴染のピアニストである男の子がケガした手を治してあげることを条件に、魔法少女になるのですが、魔法少女は一般人を守るために命がけで魔女と戦わなくてはなりません。
そしてある時、その幼馴染の男の子が、さやかの親友の女の子といい関係になるのを見てしまいます。
男の子はさやかのおかげで手が治ったことを知りません。
別に彼から好かれたいと思ってやったことではありませんが、正義感の強かったさやかの中でさえも、どんどん黒い感情が芽生えてしまいます。
電車の中では、女の子のことを遊び道具みたいに笑ってさげずんでいるホストみたいな連中の話を聞いてしまい、
「いったい何のために命がけで魔女と戦っているんだ・・・」
という気持ちが抑えられなくなっていきます。
この話の展開も、上に挙げた2つの話と似ていると思うのです。
命がけで守っているのに、それを一般人はわかってくれない。
これはつらいですよね。
ソードアートオンラインの方に話を戻しますが、今後アリスやキリトが、村人からの尊敬を集めることを願ってやみませんね。
それくらいのことをしたのですから。
ソードアートオンラインの小説15巻か16巻くらいでそれを見せてくれたら、すごくうれしく思います。
ソードアートオンラインSAO以外で好きな作品
わたしは、ソードアートオンライン<SAO>以外にも、けっこうたくさんのアニメや小説や漫画を見ています。
ソードアートオンライン<SAO>以外で好きな作品は・・・
シュタインズ・ゲート(ゲーム・小説・アニメ)
宇宙兄弟(マンガ・アニメ・実写映画)
進撃の巨人(マンガ・アニメ・実写映画)
俺ガイル(小説・アニメ)
監獄学園(マンガ・アニメ)
ペルソナ4(ゲーム・アニメ)
あの花(アニメ)
東京グール(マンガ・アニメ・小説・実写映画)
僕だけがいない街(マンガ・アニメ・実写映画)
などです。
もちろん、王道マンガの、ドラゴンボールやワンピース、ジョジョとかも好きですよ。
たくさん見てきた中で、自分が好きな作品は、ソードアートオンラインをはじめとした上に書いた作品ですね。
どれも夢中になって、見たりプレイしたりしました。
ソードアートオンラインには、小説・アニメ・ゲームがありますが、今度アメリカの方で実写ドラマ化するらしいです。
日本の実写映画はあまり見ていません。
どうしても、映画の2時間に原作の脚本を落とし込むのは無理だと思ってしまうからです。
けれど、ソードアートオンラインのアメリカのドラマ化って言うのは、結構期待してます(*^^*)
ソードアートオンラインの小説は日本で1300万部、海外で700万部も売れているらしいです。
日本のサブカルチャーを代表する作品になってきましたね。
やっぱり、ソードアートオンラインSAOの面白さは、万国共通ですね(^^)/
【アリスはまじめすぎるんだよな~】ソードアートオンラインSAO小説15巻感想
まえまえから思っていることですが、アリスってまじめすぎると思うんですよね。
生徒会長キャラと言ったことがありますが、本当にそんな感じです。
まじめすぎるから、私的にはあんまり魅力を感じてないんですよね。
今後変わるかもしれないですけれど、現段階では、数多くのヒロイン候補の中では低い方にランク付けされてます(私の勝手なランキング)。
やっぱり、幼少期のアリスと、整合騎士になってからのアリスでは、性格違うと思います。
昔のアリスの方が好きでしたね。
なんか、キリトとユージオと一緒にいて二人をまとめ上げてる感じの姉御肌って感じで。
真面目なんだけど、悪いことも禁忌目録の解釈を変えてしちゃうとことか、とっても好きでした。
でも、今のアリスはまじめだけであんまり魅力感じないです。
過去の記憶を失っていても、アリスはアリスなのに、自分のことを、昔の記憶を消された借り物の人格で、本当は過去のアリスにこの身を返さないといけない、なんて言ってました。
いいじゃないですか。過去を忘れただけで、自分は自分なんですから。
なのにいつまでも、自分はアドミニストレータに作られた仮の人格だからとか言って、自分を責め続けています。
ちょっと好きになりかけたんですけど、またアリスのこと「あんまりな~」みたいに思い始めてしまいました。
ソードアートオンラインには、本当にたくさんのヒロイン候補がいるので、その中で人気を得るのは大変ですよ!
アリスはもっと、今の自分の人格のことを自身で認めて欲しいです。
ソードアートオンライン小説SAO15巻の感想1【こういう展開か~やっぱりSAOすごい】
ソードアートオンラインの小説は、9巻からアリシゼーション編が始まっていますが、この15巻からは、新たな展開をむかえます。
アリシゼーション編の後編という感じです。
これまで、キリトやユージオはアドミニストレータや整合騎士たちのセントラルカセドラルの連中と戦ってきましたが、一難去ってまた一難、今度はラースによって引き起こされる負荷実験、ダークテリトリーとの戦争が待ち受けています。
今まで敵だった相手が仲間になる・・・
ドラゴンボールでも、幽遊白書でも、人気になっている作品はこのような展開のお話が多いです。
この展開、私好きなんですよね。
ソードアートオンラインでも、この展開が来ました!!(*^^*)
もともと敵だったけど、アリスも、ベルクーリも、そのほかの整合騎士たちも、その生き様には見惚れるものがありました。
彼らが使う武器も、それぞれに個性があり、このままいなくなったらさみしいな~と思っていた矢先に、こういう展開になって、嬉しく思います。
ただ、キリトの容態は本当に心配です。
パソコンを電源から抜いたようなもので、ぷっつり電源を切られてしまったようなものですよね。
キリトが動けないとなると、アンダーワールドでの人界とダークテリトリーの戦いは、すべて人工フラクトライトになります。
つまり、すべてAI<人工知能>の人間になるのです。
ソードアートオンラインの小説15巻からのストーリーは、しばらく彼らボトムアップ型AIのストーリーになります。
これはとっても新しいと思います。
登場人物すべてAI。
それでも、彼らすべてが生き残ってほしいですし、ダークテリトリーとの戦いに勝って欲しいですね。
ソードアートオンライン(SAO)で茅場晶彦はなぜ多くの人を道づれにしたのか
ソードアートオンラインのアインクラッドに閉じ込められた人は約1万人いて、
そのうちの約4千人がなくなったと言われています。
茅場晶彦が作り出した、ソードアートオンラインというVRMMORPGゲームの中で、茅場晶彦はこんなにも多くの人を道連れにする必要があったのでしょうか。
ゲーム内でHPがゼロになり死亡した人もいるのですが、家族がプレイヤーの現実の体からナーブギアを外したために死んだ人もいますし、現実の体の健康面を心配して病院に連れていく過程で亡くなった人もいます。
こういった人たちは、デスゲームを攻略するチャンスすら与えられず、死んでいったのです。これは、茅場晶彦にとっても無駄な出来事ですよね。
わたしは、茅場晶彦がなぜこんなにも大きな事件を引き起こす必要があったのかと疑問に思っていますし、ソードアートオンラインを読んだ後でも、その疑問の答えはまだ出ていないです。
もしかしたら、茅場晶彦は、死が次の世界の入口とでも思っていたのかもしれません。
自分が死ぬことは恐れていない。
今ある世界とは違う、もうひとつ別の世界を創りたかった。
茅場晶彦はこういった旨の発言をしています。
現実で死ねば、もちろんそれは死になります。
当たり前のことですが、その当たり前のことを、ゲーム内でも適用すれば、もうその世界はもう一つの世界と解釈できます。
ログアウトボタンがなくなっても、HPがゼロになれば元の世界に戻れる。
もしこうであれば、ゲーム内でプレイヤー同士がHPの削りあいをしてしまいますよね。これでは意味がなかったんでしょうね。
どうしても、ゲーム内の死が現実の死である必要があったのでしょう。
でも、なぜもう少し待てなかったんだと考えてしまいます。
ソードアートオンラインの小説9巻から始まる、アンダーワールド編を見ていると、茅場晶彦の求めている世界はアンダーワールドそのものだったんじゃないかと思ってしまうからです。
茅場晶彦が求めるもうひとつの世界にいる人間は生身の、体のある人間同士じゃないといけなかったのかな。
人工フラクトライト<AI>の世界では、茅場晶彦の求める世界にはならなかったのかもしれません。
AIはあくまでラースが主導して作り上げたものであり、茅場晶彦とは関係ありませんからね。
今後、ソードアートオンラインが続いていく中で、茅場晶彦は登場するのでしょうか。
そしてその時は、彼の最終的な目的が明らかになるのでしょうか。
とても気になりますね。